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北方領土の読み方とその意味!現在の人口と日本人は?

北方領土返還はあるか?ヤルタ会談の秘密文書が見つかった!


北方領土返還の機運が高まった昨年の日露首脳会談。

残念ながら、進展はなかった。

現在ロシア側は、北方領土の帰属について、

もともとロシアだとする考えが大勢を占めているようだ。

たぶんにも、政治的、外交的、軍事的な要素が大きいのだろう。

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そんな中での、外交文書の発見である。

72年前のヤルタ会談でのソ連の姿勢をうかがわせる文書のようだ。

そこには、千島列島は日本の固有の領土と認識していたことが書かれていたようだ。


今回は、北方領土の読み方と意味、人口などを見てみたい。
まず、読み方だが、

北方領土(ほっぽうりょうど)と読みます。

現在日本で使われる意味は、

第二次世界大戦後にソ連(現在のロシア)が占領した歯舞群島(はぼまいぐんとう)、色丹島(しこたんとう)、国後島(くなしりとう)、択捉島(えとろふとう)の4つの島(北方四島)を指します。

面積はおよそ5000k㎡で、千葉県や愛知県と同程度の面積です。

日ロ両国が自国の領土と主張し、現在ロシアが実効支配している。

北方領土をめぐる日本とロシアの領有権の対立、これが「北方領土問題」です。


この北方4島に加え、千島列島も日本の固有の領土とした文書が見つかったとしているのです。

では、北方領土の人口はどうなっているのでしょう?

歯舞群島・色丹島・国後島・択捉島の4つの島(または群島)のことですね。

千葉県や愛知県と同程度の面積ですね。

第2次世界大戦の前までは北方領土には多くの日本人が住んでいました。

終戦時での各島の人口を見てみましょう

択捉島:別村2,258人 紗那村1,001人 蕊取村349人の合計3,608人

国後島:7,364人

色丹島:1,499人(1940年国勢調査) 1,083人

歯舞群島:5,281人

出典:http://www.chishima.or.jp/info.htm

しかし終戦後、ソ連軍によって占領されます。

そして、日本人の軍関係者はシベリアに抑留、民間人は島を追放されました。

それで、北方四島から日本人がいなくなってしまいます。

その後旧ソ連はロシア人を入植させて実効支配をします。

それが現在まで続いているという流れになってます。

つまり、現在は北方領土に住んでいる日本人はゼロということですね。

ですが、北方領土に居住していた人々のの2世3世の中には、北方四島へ移住するものが出てきました。

このため、日本人旧島民の2世3世4世は若干名北方四島に居住しています。

しかし、彼らはロシア国籍なので(一応ロシアの実効支配下なのでロシア国籍でないとダメ)純粋な日本人(日本国籍)ではありません。

でも、「日本生まれの日本人」という意味では2世・3世などの方々も「北方領土に住む日本人」

と言えるのではないでしょうか。
以上のように、現在の北方領土には日本人は住んでいないことが判明しました。

しかし、日本で生まれた「2世・3世」の人で、北方領土に入植(移住)した方々は、ロシア国籍ではあるけど「日本人」であると言っていいように思いました。

なので、「戦前は大勢の日本人が住んでいた。しかし、戦後は日本人は追い出され、現在は、移住したわずかな日本人が居住している」と思います。

北方領土 読み方 意味
北方領土 人口 現在

ソ連起草の原本発見 英国立公文書館 千島割譲を「引き渡し」と表記 日本固有の領土と認識
【ロンドン=岡部伸】大戦末期の1945年2月に米英ソ首脳がクリミア半島ヤルタで、ソ連の対日参戦と引き換えに日本領土だった南樺太、千島列島をソ連に割譲するなどの密約を交わしたヤルタ会談をめぐり、ソ連側が作成した合意文書の草案原本が22日までに英国立公文書館で見つかった。

日露戦争で帝政ロシアが失った南樺太は「返還される」と表記する一方、千島列島は「引き渡される」と起草段階から区別していたことが判明。ソ連側が同列島を日本固有の領土と認識していた証左で、カイロ宣言(1943年)の領土不拡大の原則に違反するとの議論を想定していたためとみられる。

ロシアが北方領土領有の最有力根拠とするヤルタ密約が交わされて2月で72年が経過したが、連合国内の批判を封じながら千島列島の強奪を狙ったソ連側の謀略が浮き彫りとなった。

草案の原本は英語で、文頭に「2月10日 モロトフ(外相)から国務長官に手渡される」とのメモ書きがある。スターリン首相らソ連側が起草し、ハリマン駐ソ米国大使を通じて、ステティニアス米国務長官に渡され、米英側に提示された。ソ連がドイツ敗戦後2~3カ月で対日参戦すると定め、条件として、(1)外蒙古(現モンゴル)の現状維持(2)南樺太の「返還」など日露戦争で失った領土と権利の回復(3)千島列島の「引き渡し」-を盛り込んだ。

対日参戦の条件としてスターリン首相は、43年のテヘラン会談から、帝政ロシアが、日露戦争を終結させた05年のポーツマス条約で失った領土と権益の回復をあげ、ヤルタではルーズベルト米大統領に対し、南樺太と千島列島を抱き合わせて旧ロシア領として割譲を求め、同意を得ていた。

ただし、千島列島は、1855年の日露通好条約でまず択捉(えとろふ)・ウルップ島間に国境が引かれ、75年の樺太千島交換条約で千島北東端のシュムシュ島までが日本領となった。このため日露戦争で失った南樺太とは一線を画す必要があったとみられる。

草案は中国の権益に関する個所に修正が行われた以外は踏襲され、3首脳は2月11日、最終合意書に署名。ソ連は約半年後の45年8月、これを根拠に千島列島に侵攻、占拠した。

カリフォルニア大学サンタバーバラ校の長谷川毅教授(日露関係史)は「草案にはスターリン首相の深謀の跡がうかがえる」と話す。

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