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こんにちは楽しみ太郎です!

今回は佐々淳行氏訃報をお伝えします。

危機管理と安全保障のスペシャリストの佐々淳行氏がなくなりました。

ここに謹んでお悔やみ申し上げます。

 

 

佐々淳行氏プロフィール

氏名:佐々 淳行

生年月日:1930年12月11日

出生地:東京府東京市麻布区

没年月日:2018年10月10日(87歳没)

死没地:東京都

出身校:東京大学法学部

前職:国家公務員(警察庁・防衛庁)

称号 勲二等旭日重光章

親族 佐々友房(祖父)

佐々弘雄(父)

佐々克明(兄)

紀平悌子(姉)

 

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◎警察官僚として

入庁後は、主に警備警察の分野を歩み、東大安田講堂事件、あさま山荘事件、

ひめゆりの塔事件など数多くの学生運動や新左翼のテロに対する警備実施を指揮した。

警視庁外事課長代理、大阪府警察外事課長、外務省在香港総領事館領事、

警視庁公安部外事第一課長、同警備部警備第一課長、同警務部参事官兼人事第一課長等を経て、

警察庁警務局監察官兼警備局付、警備局調査課長、同外事課長、同警備課長、

三重県警察本部長、警察庁刑事局参事官を歴任。その後、防衛庁に出向する。

防衛庁では同長官官房長[4]などを経て、防衛施設庁長官に就任した。

◎初代内閣安全保障室長

1986年(昭和61年)7月1日、第3次中曽根康弘内閣で初代の内閣官房内閣安全保障室長(兼総理府安全保障室長)に就任。

中曽根康弘、竹下登、宇野宗佑の3人の内閣総理大臣に仕え、1989年(平成元年)2月に行われた

昭和天皇大喪の礼の事務取り仕切りを最後に、同年6月に退官した。

<ウィキペデア>

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危機管理、安全保障のスペシャリスト

佐々淳行氏を語るには危機管理、安全保障を外せない。

平和ボケの始まった日本において最初に危機管理、安全保障を

唱え、その行動で示した人である。

こんな佐々氏の提唱した安全保障は広く広まったがまだ不十分である。

日本人は自衛隊は必要と90%以上の人が認めるが

憲法に記入しようとすると急に反対になる!

子供じみた日本人が多いのだ。

そんな日本人を危惧した第一人者が佐々氏である。

思いはいまだ通じずの思いだったろうが確実に伝わった!

後輩の中に確実に安全保障は伝わり、安倍総理は憲法改正を

任期中にやろうとしている。

 

佐々氏の足跡は重い!

 

産経新聞の正論メンバーで初代内閣安全保障室長を務めるなど危機管理、安全保障のパイオニアとして知られる佐々淳行(さっさ・あつゆき)氏が10日、老衰のため死去した。87歳だった。通夜は15日午後6時、葬儀・告別式は16日午前11時半、東京都港区南青山2の26の38、梅窓院で。喪主は妻、幸子(さちこ)さん。

昭和5年、東京都出身。東京大学法学部卒業後、29年に国家地方警察本部(現・警察庁)に入庁。警備や公安畑を歩み、44年の東大安田講堂事件、47年のあさま山荘事件など戦後史に残る重大事件で対処に関わった。

香港領事、三重県警本部長などを経て旧・防衛庁へ出向。防衛施設庁長官などを歴任した。61年には内閣安全保障室長に就任。平成元年の昭和天皇大喪の礼の警備を最後に退官した。

現役の防衛庁幹部当時に出版しベストセラーとなった「危機管理のノウハウ」(PHP)などの著作を通じ、日本社会に「危機管理」という概念を定着させ、公職退任後も新聞やテレビなど多方面で活躍。テロや災害から国民の生命・財産を守り損害を減らす備えの重要性を訴え続けた。

国益を重視する現実的な政策提言は歴代政権にも影響を与え、平成13年の米中枢同時テロでは米国の対テロ活動を後方支援するため、自衛隊のイラク派遣を進言。小泉純一郎政権によって実現された。

のこった我々は思いを受け止めて行動しよう!

最後までお付き合いくださいまして、
ありがとうございました。

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