
こんにちは楽しみ太郎です!
今回は韓国・元慰安婦女性“抗議集会なくすべき!との声をあげました。
この方は、元慰安婦の象徴的な女性で李容洙さんです。をお伝えします。
それでは見ていきましょう。
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いよいよ始まった内輪もめ?
韓国で、元慰安婦の象徴的な女性が突然、支援団体の寄付金の使い方が不透明だと批判し、
ソウルの日本大使館前で毎週開かれる抗議集会についても、「なくすべきだ」と訴えて、
波紋が広がっています。
、寄付金は適正な事業に使っているとの立場を強調しました。李さんとは連絡がつかないものの、集会は、今後も続けるとしています。
李さんが突然批判に転じた理由について、韓国メディアでは、団体の尹美香前理事長が先月の総選挙で国会議員に当選したことをめぐり、摩擦が生じているとの見方が出ています。
以前より度々元慰安婦の支援団体の活動資金の不透明さは報道されていましたが
直接、元慰安婦の人が声をあげることはなかったことです。
今回は本当にびっくりしました。
しかし、人の金をあてにして活動を続けていれば、正当性が疑われだせば
ほころび始めるのは古今東西いっぱいの事例があることのようです。
そもそも元慰安婦はいなかった?
韓国人の元慰安婦が問題になったのは、私の記憶だと朝日新聞に吉田清治氏の投稿が
掲載されてからの事と思う。吉田清治氏のこのころを彼の子息は「当時親父は投稿マニアだった」
と言っています。しかも、吉田清治氏は朝鮮人の経営するパン屋に勤めていたのです。
そして昭和三八年、『週刊朝日』が「私の八月十五日」の手記を募集し、結果が同誌八月二三日号に掲載された。
その中のその佳作のひとりに吉田東司の名前がある。それは清治氏のことだった。
入賞作までは全文掲載されているが、佳作は編集者が抜粋しながら紹介している。以下、引用する。
〈特選から佳作に至るまでの各編は、すべて、戦争の被害者としての立場から、
八月十五日を想起したものばかりであった。しかしただひとりだけ、下関市の会社員吉田東司氏(四九)は、
加害者の立場からあの日を回顧する。
この回顧の投稿で賞金をもらって味を占めた清治氏である。
ただこの時点では、記事は労務報国会の仕事の範疇での体験であり、「慰安婦狩り」をしていたとも、
済州島に行ったとも書いていない。
次に彼が労務報国会元動員部長として書くのは、昭和五二年。最初の著作『朝鮮人慰安婦と日本人 元下関労報動員部長の手記』
(新人物往来社)である。一四年後のことである。
ここに朝鮮人の慰安婦が誕生したのである。
後年、朝日新聞は吉田清治氏の描いた記事は事実ではないと発表している。
慰安婦は存在していなかったのである。存在していたのは戦争中どこにでもいた
兵隊相手の売春婦だけである。
存在していたかのようにしてしまったのは、元総理の村山氏と、河野洋平氏の談話からであろう!?
日本人はきっちりと歴史を見つめなおすべきである。
最後までお付き合いくださいまして、
ありがとうございました。
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